山田町とオランダ・ザイスト市との交流の歩み
1964(昭和39)年
「寛永20年(1643)6月10日、オランダ船が飲料水の補給のため山田港に入港、大浦に着船、心温まる交流をし、水を得て翌11日感謝して出帆した。48日後の7月28日再度山田港に、水、食料を求めて入港した。藩主の命により盛岡から駆け付けた家老七戸隼人直時、目付漆戸勘左衛門によって、翌29日上陸した船長スハープ以下10人が織笠において束縛され、盛岡に送られた」この歴史的事実に基づいて、山田湾の大島をオランダ島と改称してはどうか。と山田町観光協会顧問の三浦寅三氏より佐藤善一町長に提言があり、議会の承認を得てオランダ島と改称された。この時に、オランダ船ブレケンス号の母港所在地との間で、姉妹都市の締結をしようという気運も持ち上がる。
1965(昭和40)年
郷土史家川瀬一郎氏はブレケンス号の航海日誌に関心を持ち、原文の写真複写をオランダのハーグの文書館から取り寄せ、それを中央大学文学部講師永積洋子氏が翻訳した。
1970(昭和45)年
締結に向けて具体的な準備が進められ、小林喜代治、川瀬一郎両氏を中心に関係古文書当の調査が行われる。
1971(昭和46)年
10月、山田町ユネスコ協会が発足。ユネスコ協会の招請によりオランダ大使のハアン・ベルスロート氏が来町講演会を開催。ユネスコ協会主催のオランダ展開催。
1972(昭和47)年
7月11日から9月4日まで、永積洋子氏が翻訳した「オランダ船長日誌」が岩手日報に連載される。
1974(昭和49)年
9月、「南部山田浦漂着のオランダ船長コルネス・スハープの日記、永積洋子訳」がキリシタン文化研究会から出版される。
1975(昭和50)年
近藤大助町長の時、国連ユネスコ大使広長敬太郎氏、外務省松本俊参事官、オランダ国立観光協会日本支局長E・J・ヴァン・ヘルヴオール氏、警沼崎俊明氏とその友人のC・B・ビスリップス氏(全米柔道連盟副会長・オランダ出身)、アークスター氏(オランダ)等により、オーストブルフ市スヒッペル市長へ本庁からの意思の伝達が図られる。
1976(昭和51)年
5月、オーストブルフ市スヒッペル市長から「姉妹都市を締結することは原則的に同意する」という回答を受けるが、財政面や市長の交代などで立ち消える。
1986(昭和61)年
5月、佐藤仁志氏、「山田浦阿蘭陀船入津の追跡」出版。6月中央公民館において、町民劇場「寛永の朝霧」公演。
1992(平成4)年
1月28日、ハワイ大学レイニアー・H・ヘスリンク氏(日本学術振興会特別研究員)ブレケンス号山田港入港に関する調査のため来町。翌29日オランダ島に上陸、織笠細浦(束縛された場所)から馬指野道視察、佐藤光作宅訪問。4月ヘスリンク氏、中央公民館において「オランダ船山田入港について」記念講演。オランダ船入港350周年記念行事の橋渡しをする。
1993(平成5)年
7月28日、大浦に「オランダ船大浦着船350周年記念説明板」、「ブレケンス号着船の地」の標柱を沖の沢に建立、29日、ブレケンス号山田港入港350周年事業開催。「記念式典」挙行、オランダ駐日大使ローランド・ファン・デンベルグ夫妻、オランダ王室私設顧問エリック・ハーゼルホフ氏夫妻ら(ハワイ大学レイニアー・H・ヘスリンク氏、東京大学名誉教授加藤栄一氏、中央大学講師行武和博氏、東京大学史料編纂所助手松井洋子氏、外務省、県関係者)招待。加藤栄一氏による「ブレケンス号の南部漂着と日本側の対応」の講演開催。夜「記念祝賀会」を開催。鯨と海の科学館前広場にオランダから贈られた「ザイフリボク」の苗木を記念植樹。オランダ島に記念碑建立。「オランダ船ブレケンス号1643年7月28日ここに入港す」在日大使ら一行、巡航船「おおうら」で大浦湾を視察、保育園児らの歓迎を受け漁協庁舎において交流。夜大浦漁村センターにおいて、レイニアー・H・ヘスリンク、行武和博、松井洋子、佐藤仁志の4氏による記念講演開催。
12月、「オランダ船入港359周年記念会誌」(大浦地区教育振興運動実践協議会・大浦地区運営委員会)出版。大浦地区全戸に配布。
1994(平成6)年
2月、ブレケンス号模型(製作、山崎巌氏)披露式を開催。中央公民館に展示。
3月、オランダ王室私設顧問エリック・ハーゼルホフ氏の支援によりオランダのザイスト氏のクリステリック・カレッジと関係を持つようになる。
1995(平成7)年
4月、オランダ大使夫妻(8月退任)挨拶兼ねて来町。
8月、オランダのハーグ市ロイヤル・ハーグフットボールクラブを招き「日本・オランダ王国親善少年サッカー交流大会」を開催。
10月、オランダとの交流を進めるため黒沢孝町長、佐々木一男議会議長、木村悌郎教育長がオランダ王国を訪問。ザイスト市役所とクリステリック・カレッジを表敬訪問し、山田町の中学生の受け入れをお願いする。
1996(平成8)年
2月、第1次ジュニア大使友情使節団、団長・教育委員長西舘勲、中学生8名をオランダへ派遣。ザイスト市のクリステリック・カレッジで行われたジャパン・ウィークに参加交流を深める。
2月、オランダ正月300年記念祭に招待(東京)、佐々木進助役、木村悌郎教育長出席。
3月、第1次「町海外研修事業」、団長・宮昭三郎以下11名をオランダへ派遣。
5月、トン・コープマン指揮「アムステルダム・バロックオーケストラ」公演会開催。
6月、「山田町国際交流倶楽部」結成、会長・清水誠勝氏。
8月、国際理解講座開催「ヒューストン事件」アイオア大学準教授レイニアー・H・ヘスリンク氏。
9月、日蘭文化交流の橋渡しとして、オランダの画家シュールドベイカー氏来町。
1997(平成9)年
1月、第2次ジュニア大使友情使節団、団長・山田中学校長松尾光信(教員2名)、中学生8名をオランダへ派遣。
2月、ザイスト市のクリステリック・カレッジ校長のフレッド・ステーンスマ氏と教務主任ライニール・ヒース氏が、山田町の生徒との交流を促進するため来訪、町長を表敬訪問。山中、豊中を訪問、交流を深める。
3月、黒沢孝町長、長崎で行われた「日本オランダ交流400年記念シンポジウム」に出席。
3月、第2次「町海外研修事業」、団長・木戸脇英一収入役以下9名を派遣。
6月、「山田町国際交流協会」設立、会長・清水誠勝氏。
9月、町商工会主催国際交流セミナー開催。「日本・オランダの経済交流の展望」オランダ駐日公使モール氏。「交易の歴史的背景」講師国立ライデン大学クレイン教授。
10月、山田町議会全員協議会において、ザイスト市に友好都市締結の申し入れをすることについて承認を得る。
11月、第3次「町海外研修事業」の11人と山田町商工会のオランダミッション団が、ザイスト市長を表敬訪問。団長佐々木進助役から市長へ町長の親書を手渡し、友好都市締結を正式に申し入れる。
1998(平成10)年
1月、第3次ジュニア大使友情使節団派遣、団長・教育委員長佐藤博(教員2名)、中学生8名をオランダへ派遣。
3月、鯨と海の科学館で「オランダ展」開催。日蘭友好のシンボルとしてオランダの野外楽器ストリートオルガン購入公開。
6月、ザイスト市長夫妻を「国際交流フェスティバル’98」に招待、滞在中町内関係者と交流を深め、町長と市長が会談、友好関係を発展させ、西暦2000年の日蘭交流400周年の記念すべき年に友好都市の締結ができるよう努力することで合意する。北アイオワ州立大学歴史学部準教授レイニアー・H・ヘスリンク著「オランダ人束縛から探る近代史」を山田町教育委員会が発行。
6月、トン・コープマン指揮ABOコンサート開催。レイニアー・H・ヘスリンク氏の講演開催、「オランダ人束縛から探る近世史」
11月、第4次「町海外研修事業」、団長・木村悌郎教育長以下9名、ザイスト市長を表敬訪問、市長に友好都市締結についてお願いする。
1999(平成11)年
1月、第4次ジュニア大使友情使節団、団長・山田中学校長山崎喜六(教員2名)、中学生8名をオランダへ派遣。
5月、「山田町日蘭交流友の会(会長・伊藤 敏)」結成。
10月、ザイスト市のクリステリック・カレッジ・ザイスト校の友情訪問団11人、団長フレッド・ステーンスマ校長以下教員3名、生徒8名が山田町を訪問、山中、豊中を訪ね友情を深める。
10月、オランダ王国デン・ハーグ市のオーケストラ「ファン・ブァセナール」の演奏会を中央公民館において開催される。
11月、山田町は、ザイスト市との友好親善都市締結に向けて、友好訪問団として黒沢孝町長を団長に、佐々木良一議会議長、昆暉雄議会副議長、木村悌郎教育長、職員2名を派遣。第5次「町海外研修事業」団長・木村悌郎教育長以下9名派遣。町長とザイスト市長が友好盟約の宣言と承認書に署名し取り交わす。2000年5月山田町にザイスト市代表団を招き、友好都市締結調印式を行うことを申し入れる。
2000(平成12)年
1月、第5次ジュニア大使友情使節団(職員2名)、団長・佐藤幸男教育委員長、中学生8名をオランダへ派遣。ザイスト市のクリステリック・カレッジの生徒と交流。ザイスト市役所を表敬訪問。
4月、黒澤孝山田町長、木村悌郎教育長が日蘭交流400周年記念実行委員会及び、在日オランダ大使館主催による日蘭交流400周年及びクイーンズデー2000の祝典に招待され出席。
5月13日、山田町において日蘭交流400周年を記念し、山田町・ザイスト市友好都市締結調印式を挙行。ローベルト・ミルデルス在日オランダ公使立会いのもと、黒沢孝町長とルドルフ・G・ブックホーベン市長が締結書に調印する。調印式後記念レセプション開催。翌14日、ザイスト市代表団と町関係者がオランダ島に渡り、山田町に贈られた「ザイストまでの方向と距離を示すプレート」を設置。その後中央公民館においてミュージック・シアター「出島の頃」を公演。夜、山田町日蘭交流友の会主催の「日蘭交流の夕べ」開催、友好都市締結及び日蘭交流400周年を祝い交流を深める。15日、ザイスト市代表団が岩手県庁に増田寛也知事を表敬訪問する。
10月、オランダ人彫刻家ヤン・Bワウドステラ氏が滞在し木彫りのモニュメントを製作。10月14日、中央公民館においてトン・コープマン氏率いるアムステルダム・バロック・オーケストラ演奏会を開催。
11月、第6次「町海外研修事業」、団長・豊間根章一助役以下11名をオランダへ派遣。ザイスト市において交流を深める。
12月3日、山田中学校吹奏楽部海外公演派遣団がザイスト市において公演、5日にはアムステルダムのコンサートホール「コンセルト・ヘボウ」において、ジャパンナイトの1ステージとして公演する。
2002(平成14)年
5月 11日から13日まで、ザイスト市との友好都市締結2周年を記念してオランダ交流展を町内の空き店舗を活用して開催。オランダ関係の写真やお土産品の展示等を行い町民のオランダに対する理解と関心を深めてもらった。期間中会場には述べ180名の町民が訪れた。
2003(平成15)年
1月 6日から16日まで第8次山田町ジュニア海外使節団派遣事業が実施された。中学生8名、山田高校生2名、統導者3名の使節団が、オランダ・ザイスト市のクリステリック・カレッジの生徒との国際交流のためオランダに派遣され、生徒たちは6日間ホームステイし、うち3日間の学校生活を体験する。ザイスト市役所を表敬訪問し、市長等と面会する。
10月 5日から11日までオランダ週間を開催。オランダ政府観光局から仕入れたオランダのグッズなどを販売したほか、写真等を使って広くオランダを紹介した。期間中延べ320名の町民が観覧に訪れた。また、週間のためオランダから来日したコニー・ヨングブルッドウ夫妻の歓迎会が5日に行われた他、コニー氏によるオランダ理解講座が6日夜7時から中央コミュニティセンターで行われ、30名の町民が参加した。
2004(平成16)年
1月 5日~16日まで第9次山田町ジュニア海外使節団派遣事業が実施された。中学生8名、山田高校生2名、統導者3名の使節団が、オランダ・ザイスト市のクリステリック・カレッジの生徒との国際交流のためオランダに派遣され、生徒たちは6日間ホームステイし、うち3日間の学校生活を体験する。ザイスト市役所を表敬訪問し、市長等と面会する。また、ロッテルダム日本人学校、在日本大使館など訪問した。
2月 第8回山田町海外研修派遣事業が実施された。町民7名、事務局1名、通訳研修生1名の研修団一行がオランダを訪問。ザイスト市を中心に財団法人ホフライスとの交流を深めたほか市庁舎等を表敬訪問した。その他はオランダの観光視察等を行った。
7月 オランダ・ザイスト市から財団法人ホフライスの役員であるインゲボルグ・ハルチェスさんが来日。歓迎会を開催した。インゲボルグさんは、7月初めから約1カ月日本に滞在し、その内の2週間を山田町でホームステイして過ごした。インゲボルグさんは山田の海外研修団のホストファミリーだったことから、宿泊を世話した町民宅等にお世話になった。
10月 4日から10日までオランダ週間を開催。友好都市ザイスト市から提供された障害者施設で作ったADO玩具や、ザイスト市関連の写真等を使って展示したザイストウオッチングなどが町民の目を引いた。期間中延べ400名の町民が観覧に訪れた。また、週間のためオランダから来日した財団法人ホフライスのフレッド・スティンスマ会長、コニー・ヨングブルッドウ氏の歓迎会が4日に行われた他、スティンスマ氏によるオランダ理解講座が6日夜7時から中央公民館で行われたほか、コニー氏によるオランダ料理教室が7日に行われ、オランダの代表的なパンケーキなどが紹介された。
2005(平成17)年
1月 7日から17日まで第10次山田町ジュニア海外使節団派遣事業が実施された。中学生8名、山田高校生2名統導者3名の使節団が、オランダ・ザイスト市のクリステリックカレッジの生徒との国際交流のためオランダに派遣された。生徒たちは5日間ホームステイをし、うち3日間の学校生活を体験する。ザイスト市役所を表敬訪問したほか、市長と一緒にパンケーキレストランで食事をした。また、アムステルダム日本人学校、在日本大使館など訪問した。



