〈参考資料2〉 【史料1】西川如見(1648~1724)「長崎夜話草」(1720) ・かかる乱逆(島原天草一揆)のおこりも、南蛮の外法より出きにければ、公けの御悪み成りて、終に黒船(ポルトガル船)御制禁として、 其年の秋、上使大田氏下向ありて、重ねて日本に来るべからずと堅く仰せありて返されぬ。夫より黒船日本渡海のみち絶たり。 (○邪宗門制禁並黒船停止之事) ・黒船御禁止にて、此津の民、世渡りぬぺき生計なきを恤み給ひ、多年平戸へ来りし阿蘭陀の商舶を、長崎の津に至らしむべき旨公けの 仰せありて、寛永十八年巳年より此津に入来れる事となりぬ。 (○紅毛船初来之事) ・黒船停止の前より、耶蘇の教へ正法にあらざる事を公の御いぶかりにて、日本の人妄りに異国へ渡海の事いかなる災もやとて、 寛永十二乙亥の年、日本異国渡海の船舶停止おほせ出されぬ。是より長崎より御免許の御朱印給はりて、年々異国へ渡海せし船も留まりぬ。 (中略)長崎より渡海せし人、近き比まで存命なりしも多かりし。 (○異国渡海禁止之事) 【史料2】ロシア使節レザノフ宛て幕府「教諭」(1805) 「通航一覧続韓(清文堂出版)巻ニ」 申渡 (a)我国音より海外に通問する諸国不少といえとも、事便宜にあらさるか故に、厳禁を設く、我国の商戸外に往事をとゝめ、 外国の買船もまたもやすく我国も来る事を許さす、強て来る海舶ありといへとも、固く退けていれす、 (b)唯唐山、朝鮮、琉球、紅毛の往来することは、互市の利を必とするにあらす、来ることの久しき素より其謂あるを以なり、 (c)某国の如きは、昔よりいまた曽て信を通せし事なし、(中略)我国海外の諸国と通問せさる事既に久し、隣誼を外国に 修むることをしたさるにあらす、其風土異にして、事情におけるも又権心を結ふにたらす、徒に行李を煩らはしむる故を以て絶て通せす、 是我国歴世封彊を守るの常法なり、争か其国一价の故をもって、朝廷歴世の法を変すへけんや、(以下略、ふりがな荒野) 【史料3】「大獣院殿御実紀附録巻三」(1809~43) 室町殿の頃黒船を異域ヘ渡さるゝには。かならず勘合ありて。彼此相照してその符信とせしなり。さるに後々となりては 騒乱打続きしより。かかる定制もなく。国人等みだりに海に航して異国にをし渡り。強悍なるものは千弋を取てかの辺境を侵掠し。 さらぬはひそかに貿易して私利をはかりしより。海禁濫縦にしてをのづから異教をもうけ来る事となりぬ。 当代耶蘇の査検おごそかに沙汰せられしに。まずこの制を立てられずばかなはじとやおぼしめしけむ。 寛永十三年五月長崎奉行榊原飛騨守職直に。老臣連署の下知状を授らる。其大略に云。今より異国に国船を遣はす事厳禁せらす。 邦人ひそかに乗渡る者は死罪に処せらるべし。はた異国に渡り。彼地に永住せし者かへり来らば。斬に処せらるべしなど。 種々仰下されし旨あり。是よりしてわが船の他国へ往来する事絶はてゝ。わづかに沿海の地を漕輸するのみにて。 海禁いと厳粛になりしなり。(憲教類典)(傍線荒野) 【史料4】井伊直弼「米国国書に対する幕府宛て上申書」 (1853)「大日本古文書『幕末外国関係文書』二」 寛永十二年以前は、長崎堺京都等に御朱印船九艘有之候処、大猷院様(家光一筆者)御代耶蘇御制禁につき、右之九艘航海御停止、 閉洋鎖国之御法度被為立置、通商は支耶和蘭に限り、其余は一切御免許無之候。然るに当今之勢を以篤と相考候処、 (中略)近時之危変に相臨候ては、御古代之如く前条閉洋之御法而巳を押立、天下静謐上国安体之御所置可有之共不破在候 (以下略) 【史料5】エンゲルベルト・ケンペル「日本帝国に於て本国人には海外渡航が、外国人には入国が禁ぜられ、 且つこの国と海波の世界との交流はすべて禁ぜられでいるのが極めて妥当なる根拠に出でたるものなることの輪証」(小堀一郎訳) … 彼(将軍綱吉ー荒野注)は少年時代から孔子の教えによって教育され、それを奉じて、国民と国土とにふさわしいような 政治を執り行っている。この君主の下で万民は完全に一致協和し、皆々その神々を敬い法律を遵守し、長上の意に従い、 同輩には礼譲と友誼をつくしている。この民は、習俗、道徳、技芸、立居振舞いの点で世界のどの国民にも立ちまさり、 国内貿易は繁盛し、肥沃な田畠に恵まれ、頑健強壮な肉体と豪胆な気象を持ち、生活必需品はありあまるほどに豊富であり、 国内には不断の平和が続き、かくて世界でも稀にみるほどの幸福な国民である。もし日本国民の一人が彼の現在の境遇と 昔の自由な時代とを比較してみた場合、あるいは祖国の歴史の太古の普を顧みた場合、彼は、一人の君主の至高の意思によって統御され、 海外の全世界との交通を一切立ち切られて完全な閉鎖状態に置かれている現在ほどに、国民の幸福がより良く実現している時代をば 遂に見出すことは出来ないであろう。 【史料6】M.ペリー「ペリー提督意見書」(1856年) (田中章編『日本近代思想体系1開国』岩波書店、1991年) ・外国人に対して中国人が示してきた非社交的な、ほとんど無礼といってもよい排他的な態度をこれ以上許容しておくわけには行かない。 日本人と同様に中国人にも、自分たちの美しい国土を諸外国に対して永久に閉ざしておくべきではないということを理解させるべきである。 外国人との、自由で拘束されない通商関係ほ必ず彼らの利益になるのである。 ・地球上のこのように広大で豊かな国土は、彼らが利益を独占するものとしてつくられたのではない。 外国人に彼らの社会的政治的特権を侵害するはっきりした権利があるなどとずうずうしく主張するつもりはない。 しかし中国およぴ日本の政府に対し、重要不可欠かつ根本的な国際法の要件を余儀なく認めさせることにおいては、すべての外国は 完全に正当化されるだろうと主張する。 ・中国に対するイギリスの戦争が、正義また道徳上どうであったにせよ、相対的にみれば結果的に双方に利益をもたらした。 【史料7】エルダイン・ベルツ(1849-1913) 『ベルツの日記』(明治9年10月25日条) (岩波文庫第一部上) (前略) あなた方は、大体次のようにお考えになって然るべきでしょう―すなわち日本国民は、十年にもならぬ前まで封建制度や教会、 僧院、同業組合などの組織をもつわれわれ中世の騎士時代の文化状態にあったのが、昨日から今日へと一足飛びに、 われわれヨーロッパの文化発展に要した五百年たっぷりの期間を飛び越えて、19世紀の全成果を即座に、しかも一時にわがものに しようとしているのであると。したがってこれは真実、途方もなく大きい文化『革命』(レヴォルチオン)です―何しろ根底からの 変革である以上、『発展』(エヴォルチオン)とは申せませんから。そしてわたしは、この極めて興味ある実験の立会人たる幸運に 恵まれた次第です。 (中略) 一体、この国と国民に誠意を寄せ、本当に好意を抱いているものは、事実をよく吟味して判断せねばならないのです。 ことにこの場合のように二重に困難な事情のもとで、およそ新しいことがどうして成り立ち得るのでしょうか。 日本人に対して単に助力するだけでなく、助言することこそ、われわれ西洋人教師の本務であると思います。だがそれには、 ヨーロッパ文化のあらゆる成果をそのままこの国へ持ってきて植えつけるのではなく、まず日本文化の所産に属するすぺての 貴重なものを検討し、これを、あまりにも早急に変化した現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと、しかも慎重に適応させることが必要です。 ところが―なんと不忠義なことには―現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。 それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。「いや、何もかもすっかり野蛮なものでした」〔言葉そのまま!〕 とわたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史についてしつもんしたとき、きっぱりと 「われわれには歴史はありません、われわれの歴史は今からやっと始まるのです」と断言しました。 なかには、そんな質問に戸惑いの苦笑を浮かべていましたが、わたしが本心から興味を持っていることに気がついて、ようやく態度を 改めるものもありました。 こんな現象はもちろん今日では、昨日のことが一切に対する最も急激な反動からくるのであることはわかりますが、しかし、 日々の交際でひどく人の気持ちを不快にする現象です。それに、その国土の人たちが固有の文化をかように軽視すれば、 かえって外国人の間で信望を博することにもなりません。これら新日本の人々にとっては常に、自己の古い文化の真に合理的なものよりも、 どんなに不合理でも新しい制度をほめてもらう方が、はるかに大きい関心事なのです。(以下略)