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国際交流の新たなビジョンをさぐる

2001年山田町・ザイスト市有効都市締結1周年記念
「国際交流フォーラムディスカッション」を開催

プロフィール

※各氏の役職は平成13年現在のものです。

立教大学教授 荒 野 泰 典先生

1946年広島県呉市に生まれる。東京商船大学(商戦学部航海科)、東京大学(文学部国史学科、大学院国史学専攻修士課程)、1977年東京大学史科編纂所助手、1986年立教大学文学部助教授を経て、1989年同教授。2000年、有志とともに立教大学日本学研究所を設立、同所長を兼任し、現在に至る。学生時代から近世対外関係史の研究に従事、日蘭関係や蘭学研究のためオランダ語を永積昭・洋子東大教授ご夫妻に学ぶ。ヘスリンク先生から直接オランダ語を学ぶ。1995年立教大学海外研究員として、1年間ライデン大学で研究する。著書に『近世日本と東アジア』、編著に『アジアの中の日本史』、編訳書に『長崎オランダ商館日記』などがある。

北アイオワ州立大学準教授 レイニアー・H・ヘスリンク先生

1949年オランダのユトレヒトに生まれる。1972年アムステルダム市立大学歴史学部卒業、1992年アメリカ合衆国ハワイ州立大学より博士号取得(日本史専攻)。主な著書・論文「オランダの風土とオランダ人」『日本洋学史の研究』第Ⅳ巻、1982.「カルブァン主義思想家、アルノルドゥス・モンターヌスとその業績」『ヒュースケン暗殺事件』「東京大学資料編纂所研究紀要」6号、1996.『オランダ人束縛から探る近世史』山田町教育委員会、1998.「芝蘭堂のオランダ正月:1975年1月1日」『早稲田大学図書館紀要』47号、2000.先生は山田町とオランダ王国との橋渡しに尽力、ザイスト市との有効都市締結に大きく寄与された。

弘前大学教育学部助教授(米文学) J・N・ウェスタホーベン先生

1947年オランダ王国サッセンヘイム町に生まれる。1970年ライデン国立大学卒業(英米文学修士)。1970年ハーグ市にて高等学校の教諭を務める。1971年米国ペンシルバニア大学に留学(英米文学修士)。1975年弘前大学教育学部外国人教師、1988年弘前大学教育学部助教授(米文学)。英語翻訳に太宰治『津軽』、新田次郎『八甲田山死の彷徨』、奥泉光『石の来歴』等。オランダ語翻訳に谷崎潤一郎『細雪』、大江健三郎『叫び声』、三島由紀夫の短編小説、奥泉光『石の来歴』等がある。2000年10月『石の来歴』等のオランダ語訳に対し、第11回野間文芸翻訳賞を受賞。

前山田町教育委員会教育長 木 村 悌 郎先生

1931年山田町に生まれる。1964年岩手大学卒業。新里村、宮古市の小学校勤務後、盛岡市城西中学校、岩手大学付属小学校に勤務。1971年東磐井、岩手紫波教育事務所指導主事、1979年盛岡市教委指導課勤務。192年盛岡市立根田茂小学校校長。1986年盛岡市教委学課課長、1988年盛岡市立城南小学校校長、岩手県小学校長会長、1992年3月定年退職、同年10月山田町教育長に就任、2000年10月退任。在任中、1993年7月オランダ船ブレケンス号山田港入港50周年記念式典の挙行、ザイスト市へのジュニア大使、一般研修団の派遣、クリステリック・カレッジ学生の来訪交流等に取り組み、山田町とオランダのジスト市との友好都市締結に尽力された。現在は岩手県婦人合唱連盟会長を務める。

山田町国際交流協会常任理事 コーディネーター 中 山 利 彦氏

1961(昭和36)年 山田町船越生まれ
1980~1984年  上智大学文学部哲学科
1984~1986年  (社)日本ユネスコ協会連盟事務局青少年担当
1986~1989年  東京大学院人文学研究科修士課程終了
1989~1999年  国際仏教徒連帯会議日本事務局
2000年~      (社福)三心会 山田町第一保育所勤務、現在副所長

〔オランダ王国ザイスト市より特別来訪者〕前クリステリックカレッジ校長 フレッド・ステーンスマ先生

1938年オランダのアーペルドールン市に生まれる。1960年デブェンター市教育専門学校卒業。1965年アムステルダム市体育専門学校卒業。1965年~2000年ザイスト市キリスト教高等学校教員。1979年~2000年ザイスト市キリスト教高等学校指導部。クリステリック・カレッジ校長。2000年2月退職。ザイスト市王室オレンジ委員会副会長。ザイスト市トーマス教会執事。ザイスト市パスト・ロタリアンズクラブ幹事。先生は、山田町の中学校とクリステリック・カレッジの生徒との国際交流に大きく尽力された。

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フォーラムディスカッション ~日蘭友好400年の歴史から何を学び、21世紀からのかけ橋にするか~

岩手日報 平成13年10月7日掲載記事転載

国際交流の「これまで」と「これから」 オランダとの交流に大切なこと

中山利彦(以下、中山)/昨年は、日本とオランダの関係が始まって400年を迎えた節目の年。山田町とオランダ王国との関係は1643年、オランダ船ブレケンス号が山田湾に2度にわたって来航したことに始まります。1981(昭和56)年には日欄文化協定発行にあたり、オランダの首相と鈴木善行首相が相互署名しています。山田町がザイスト氏と姉妹年として提携する前に、山田町が生んだ宰相の鈴木善行元首相が、オランダとの交流に先鞭を付けていたことも特筆すべきことです。

荒野泰典(以下、荒野)/私は江戸時代の日本における周辺諸国との関係を研究しています。また、立教大学に昨年設立された、日本学研究所の所長です。国の力に頼らず、民間の力で出来ることを日本学から考えようとしています。

レイニアーH・ヘスリンク(以下、ヘスリンク)/私はオランダ人ですが、アメリカの大学で活動しています。歴史学では日本史を担当し、歴史専門の生徒のための日本通史、異文化を知りたい生徒向きの日本文化入門と、ふたつのコースで教えています。

J・N・ウエスターホーベン(以下、ウエスターホーベン)/私は弘前大学でアメリカ文学を教える傍ら、日本文学を翻訳しています。翻訳者は国際交流に大きな貢献をしていると思います。気持ちや考え方など、お互いの国の文化を理解するには、文学を読むことが役立ちます。国際交流は、知らない国の文化を理解する気持ちが大切です。

木村悌郎(以下、木村)/私は山田町生まれで、昨年まで山田町教育委員会の教育長を務めました。山田町とザイスト氏の姉妹都市の提携には、後輩である教育委員会の職員に尽力してもらいました。

中山/オランダという国や、オランダ人について説明願います。

ウエスターホーベン/オランダ人にとって、家族は非常に大切な存在です。一般的なオランダ人は、毎日の昼食で帰宅するのはもちろん、家族そろって自転車で一週間ほど、あちこちでバカンスを過ごします。山がない平地に住むオランダ人は自転車が好きなので、専用道路も造っています。平凡かもしれませんが、非常に平和な暮らしをしています。

中山/何度もオランダを訪問した木村さんはいかがでしょうか。

木村/オランダ人は日本人と同様、優しく温かい気持ちの人が多いと感じました。また、オランダ人は、日本人と比べて大変質素だと思いました。ここで、ブレケンス号にまつわる興味深い話をしたいと思います。「蘭学事始め」に、山田のことがカスパル某という外科医の記述と共に登場します。カスパル氏は、日本の西洋医学に大きな足跡を遺した人です。ブレケンス号のお蔭でカスパルが来日し、西洋医学が盛んになったことで、山田は西洋医学の発祥に由来する地となりました。これは今後の国際交流に役立てられると思います。

中山/このお話については今後、諸先生方に研究してもらいたいと思います。

荒野/去年、山田町に学生たちを連れて、ブレケンス号事件について調べてきました。何件かのお宅にお邪魔して古文書などを調べましたが、どの家にどんな史料が残っているのか、整備がまだ整っていない印象を持ちました。交流の前に、自分たちが山田でどのような歴史を歩んできたかを把握する必要があると思います。西洋医学発祥の由来の地というお話がありましたが、そういった事実を確認するためにも、山田町の歴史の掘り起こしや確認作業が必要です。新たな事実が発見されることもあると思いますから。

中山/国際交流に関わってきた経験からの提言をどうぞ。

ウエスターホーベン/数年前、秋田県大潟村で翻訳や通訳をしました。大潟村はオランダの姉妹町村となるため、大変な苦労をしていました。大潟村から団体がオランダに行くと快く迎えてくれますが、オランダから団体が来ない。山田町から170人がオランダへ行きましたが、オランダからは30人しか来ていない。オランダから市民に山田町へ来てもらうには何が必要か、考えなければなりません。現代の山田町民とザイスト市民は、どのような交流ができるのか、示す必要があります。

民間による国際交流の目指すところ ザイスト市民との今後の交流について

木村/山田町とザイスト市の交流の発端は、ヘスリングさんがつくってくれました。山田町にブレケンス号がやってきて350年の記念祭を行ったとき、ヘスリングさんからの要請で、エリック・ハウゼルホフさんというオランダ王室の顧問を招きました。ハウゼルホフさんに、山田町の中学生をホームステイさせたい、お互いの町のユースサッカーチームを交流させたいと頼み、尽力してもらいました。お蔭で平成8年2月から中学生の交流が続き、一般市民がザイスト市に行く交流も生まれています。 ブレケンス号の出港地ブレケンス市を平成7年に訪問しましたが、姉妹都市としての了解はもらわなかったものの、反応が鈍く、受け入れ態勢も整わなかったため、オランダ大使館からの助言もあり、ザイスト市と姉妹都市の締結に至りました。

中山/山田町とザイスト市が姉妹都市として締結することになった経緯をどのようにみてきましたか。

ヘスリング/ハウゼルホフさんはこの8年間、山田町とザイスト市の姉妹都市交流について、ベアトリックス・オランダ女王とヴィレム・アレクサンデル・オランダ皇太子に、交流の背景や活動、今後の希望を時々報告して、理解してもらっています。 ライデン大学歴史学部の卒業生である皇太子への報告は、今年6月5日に行われ、山田町教育委員会から出版された私の著書「オランダ人束縛から探る近世史」のオランダ語版を提出しました。現在も歴史に深い興味を持っている皇太子は、山田で起こった事件を書いた本を読む意思をハウゼルホフさんに告げています。 山田町とザイスト市の交流は、ハウゼルホフさん夫妻とスティーンスマさんの個人的な関係に始まり、今ではオランダ王室にまで知られるようになりました。山田町役場は、この交流に協力した人々との人間関係をどのように大切にしてきたのか、そして交流をどこまで広げることができたのか、考える必要があります。国際交流にはお金が掛かります。それを利益にすることはとても困難ですが、日本全国、あるいは山田町のような小さな地域でも、国際交流に熱心です。日本が外国に物を輸出することによって産業が成り立っていることから、日本は世界各国の文明・文化について考えることになるからです。国際交流の利益はそこにあります。オランダは、400年以上も世界の国々とビジネスをしていることから、国際交流という言葉にはあまり興味がない現状にあります。ザイスト市の人口は山田町の2倍以上・環境を大切にして、美しい町並みの中で暮らしたいと願う裕福な街ですが、市民がすべて裕福という訳ではありません。役場同士の交流を続けるのは大変ですから、民間交流が望ましいといえます。

中山/ザイスト市からの特別来訪者である、面クリステリックカレッジ校長のフレッド・スティーンスマさんに、市民からの意見・提言を伺います。

スティーンスマ/ザイスト市の交流プランについてお話しします。まず、ホームステイの期間を一年間、あるいはもっと長い期間にして、お互いの街の中高生を受け入れるとよいと思っています。また、ザイスト市にある日本文化センターの館長は、ザイスト市と山田町の交流メンバーで、ザイスト市民にもっと日本語を学んで欲しいと願っています。文化活動での交流も考えています。相互に芸術作品や手芸品などを観る機会を増やす事業も考えています。学生間の交流に関してもクリステリックカレッジの他、ザイスト市には5つの高校があることから、中高生も含めて交流ができたらと思っていますので、学生にはお互いの街を紹介するビデオを作ってもらい、ビデオ交換会もしたいと思っています。加えて、ボーイ&ガールスカウトの交流も考えています。人の行き来という交流にはお金が掛かりますから、企業や地域社会に呼び掛けて、基金を募ることはできないかとも考えています。

ヘスリンク/今後は、お互いの国の言葉の習得を心掛けると良いと思います。国際化の為の英語はもちろん、交流のためにはオランダ語会話の講座は不可欠です。日本語とオランダ語の先生の交換留学で、お互いの言語を学び、準備を整えてお互いの国を訪れるというのはどうでしょう。今後は、できるだけ多くの人が、何らかの部分で交流に携わっているという意識も必要でしょう。

中山/山田町民に対して、先生方からエールを送ってもらいたいと思います。

荒野/1995年に一年間、オランダのライデン市に家族と共に住みました。親しくしてくれた隣人に、外国人が住むことについて質問したところ、「違う文化を持った人が隣に住むのは、とても素晴らしい」と言っていたのが印象的でした。国際交流には、自分たちと異なる人たちにも心を開き、自分を豊かにしてもらう気持ちが大事だと思います。お互いの国を知ることから始めると良いと思います。

ウエスターホーベン/冬が近づき、ベートーベン作品の合唱練習が始まります。第9にある「すべての人間は兄弟になる」という歌詞は希望です。ザイスト市と山田町の交流が続くと、お互いに兄弟の気持ち、あるいは平和な世界に近付くことになると思います。

ヘスリンク/ザイスト市と山田町の交流を9年間見守ってきました。きょうのフォーラムディスカッションについても、ハウゼルホフさんに伝えるつもりです。

木村/姉妹都市との交流に加えて、山田町の外からきた人たちと交流する場合にも、心を開いて真心を表現し、やる気を現すことが必要です。そういった気持ちを山田に根付かせたいと思います。

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