国際交流の新たなビジョンをさぐる
2001年山田町・ザイスト市有効都市締結1周年記念
「国際交流フォーラムディスカッション」を開催
平成13年9月29日、山田町中央公民館を会場に、国際交流フォーラムディスカッションを開催しました。立教大学教授荒野泰典先生の基調講演のあとパネルディスカッションが行われ、「日蘭友好400年の歴史から何を学び、21世紀からのかけ橋にするか」と題し、パネリストの皆さんに意見、提言をちょうだいしました。
山田町国際交流協会常任理事の中山利彦をコーディネーターに、立教大学教授荒野泰典氏、北アイオワ州立大学準教授レイニアーH・ヘスリンク氏、前山田町教育長の木村悌郎氏、弘前大学助教授J・N・ウエスターホーベン氏、をパネリストに招き、また、特別来訪者としてオランダ王国クリステリックカレッジ前校長のフレッド・スティーンスマ氏にも出席していただきました。
国際交流フォーラムディスカッションの開催は、国際交流の新たなビジョンの提言と、山田町民、山田町からザイスト市民へ向けて絶好のアピールとなりました。
講演「400年におよぶ日蘭交流」~歴史に学ぶ未来の交流の姿~
講 師: 荒 野 泰 典 氏
2000年(平成12年)8月、授業の一環(日本史実習)として、ブレケンス号事件の関連史跡調査のため、学生30人ほど引率して山田町を訪れた。その折に、前教育長木村悌郎先生・佐藤仁志先生を始め町の方々には大変お世話になり、皆さんのあたたかさに打たれるとともに、国際交流に積極的に取り組まれていることに感銘を受けた。その時のご縁で、今回の講演をお引き受けする事になった。
400年におよぶ日本とオランダの交流の歴史を概観すれば、おのずから、その関係が近代を境に大きく変わることに気づかされます。日本の近代が何時から始まるかについては、常識的に、明治維新からとすると、ペリーの来航あたりからが過渡期ということになります。その前の270年弱が徳川幕府の時代で、いわゆる「鎖国」と「開国」にはさまれた時期です。そこで、オランダは日本にとって、良かれ悪しかれ、ヨーロッパや地球のかなりの部分を代表する存在でした。
それに対して、近代以降の130年間にはオランダは、欧米諸国の一員ではあるが、ともすれば列強の陰に隠れがちで、時がたつにつれて日本とはむしろ疎遠になっていきました。両国が深刻な再会を果たすのは、皮肉にも、日本とインドネシア占領においてであり、その時の傷跡が現在もまだ消えずにあることは、よく知られていることです。
今回の講演では、私の専門である、江戸時代の日蘭関係を中心にお話し、それを踏まえながら、残る時間で、今後の日蘭関係のあり方やそのなかでの山田町や私たち一市民の果たすべき役割について、考えるところを述べさせていただきます。
江戸時代の日蘭関係は、従来は、司馬遼太郎氏の言葉を借りれば、「鎖国」された「暗箱」のような日本社会の「針でついたような穴」が長崎で、そこから、「外光がかすかに射しこんでいて、それがオランダだった」(『街道をゆく53オランダ紀行』)という風に考えられてきました。このような見方は、完全な間違いとは言えませんが、少なくても正解ではありません。近世の日本は、国際関係を幕府が厳しく統制してはいたものの、長崎の他に対馬・薩摩・松前の3つの口が開かれており、国を閉ざしていたわけではありません。ここ20年ほどの間に、近世の国際関係についての研究の進み方はすばらしく、その多様で活発なあり方を明らかにしてきました。それらを踏まえて、近世の国際関係の全体像を新しく描きなおすことが求められています。
それに、司馬氏のような見方は、近代という価値がまだ輝きを失っていなかった時代の、言わば高度成長期までには有効でした。しかし、欧米に追いつき追い越せの時代が過ぎ、環境破壊や社会や教育の破綻が目につき、生活のあらゆる面でグローバル化が進むという現状においては、近代を肯定する司馬氏のような見方は適切ではなくなってきました。例えば、司馬氏においては、近世の日蘭関係と近代のそれとの関連は十分に意識化されていないのではないでしょうか。
このように、研究の現場と、研究をとりまく現代社会の双方から、近世の国際社会の見方、ひいては、日蘭関係の観方も、変わることを求められているというのが私の判断です。このような立場から、近世の国際関係と、そのなかの日蘭関係、それが近代化する際に起きたことなどについて具体的に検討し、今後の日蘭関係のあり方などについて、私の考えを述べさせていただきます。
江戸時代を中心に、今後の日蘭関係のあり方、山田町と住民が果たすべき役割を考える
きょうは歴史家の立場で日蘭関係400年を4つに区分して振り返りたいと思います。
第1期は1600年から1639年までの「競合の時代」。欧州列強で唯一、日本との貿易という覇権を握ったオランダとの関係性が生まれました。
第2期は1641年から1860年までの「独占の時代」。日本との貿易を独占していたオランダとの関係が崩れるまで、徳川幕府を筆頭とした特権階級がオランダとの交流を独占していました。
第3期は1860年から1980年代までの「疎遠な時代」。ペリー来航により日本が世界に開かれたことで、それまでお手本だったオランダとの交流は、かえって疎遠になりました。日本は植民地になることを避けて近代的な国家(強国)への道を選び、戦争によって再び関係性が生まれました。この時代も国が交流の主導権を握っていました。
そして第4期は現代から未来へと続く「これからの時代」です。
このように、400年の日蘭の関係を通じて、日本とオランダは3つの交流のあり方を経験しました。
さまざまな民族が共に暮らす「競合の時代」。「独占の時代」と「親密な時代」には自らの未来を決める自由を国に預け、代わりに国内の安定を得ました。「疎遠な時代」は欧州列強に追いつき追い越せの状況で、自らの未来を決める自由さえありませんでした。近世からの蓄積で成功したものと引き替えに、アジア諸国との調和を切り捨てました。
「これからの時代」である現代は、近代からの延長で獲得した便利さによってリアルタイムで世界の情報が把握出きるようになった反面、環境汚染をはじめ、解決しがたい問題が山積しています。国家や国家巻ネットワークの限界性が露呈し、反グローバルリゼーションと民間ネットワークが活性化・拡大していることから、国際交流に一般の人々が参加する機会は増大しています。
「これからの時代」は、私たちが歴史の中で切り捨ててきたことを見直す作業が必要です。
見直すことには「自分らしさ」があります。山田町でいえば自然の美しさ、人々の親切などの「山田町らしさ」です。
また、日本と諸外国との関係性の見直しも必要です。オランダは経済規模や人口、面積などは小さい国ですが、現在のEUでもっとも大きな働きをしています。大国に引けを取らないオランダを見直す必要があります。
三つめに、民間・個人の力の見直しがあります。多様な民族が日本社会に入ってきたことでプラスとマイナス両面を体験している現代は、「競合の時代」と非常によく似ています。
「競合の時代」後、「独占の時代」を迎えたように、「これからの時代」も交流の主導権を国に預けてしまうのですか。それは、私たちが何を望むのかで変わってきます。
このようなことから、今回のフォーラムを企画したのが民間団体であることは大変素晴らしい。明るい未来への可能性を秘めていると思います。



