第12次 山田町ジュニア海外使節団 団長報告書
団長: 山田中学校教頭 山名 秀樹
目をつぶると今でもオランダの風景が浮かんできます。広大な大地に、ゆったりとした佇まいを見せるスキポール空港。下を走る高速道路を立体交差して、航空機が空港内の誘導路を移動していく姿を初めて見て、びっくりしました。
中世の町並みを彷彿させるアムステルダムの旧市街。石畳を歩いていると、どこからか、風のように音楽が聞こえてくるような気がしたものです。
木々に囲まれ、落ち着いた雰囲気のザイストの町。親切だった人々の優しさとともに、町全体が気品と誇りに満ちていたことが懐かしく思い起こされます。
帰国してからそんなに月日がたっていないはずなのに、なぜか遠い昔の出来事のように懐かしく思われるのはなぜでしょう。夢のような楽しい毎日を、思いつくままに綴ることで、以下、団長報告にかえようと思います。
私たち山田町ジュニア海外使節団、引率3名、生徒10名(山田高校2名、豊間根中学校2名、山田中学校6名)計13名は、正月あけの1月7日に元気に山田町を出発しました。出発式では、多くの方々から激励をいただき、緊張の中にもこれから始まる12日間の旅への期待感がみなぎっていました。私は、早くから、団員の長男・長女役を山田高校の二人に期待していました。結果的に笹原君、横田さんは、見事にその重責を担ってくれました。改めて、二人に感謝したいと思います。
翌8日、成田空港から出国し、一路オランダ王国、スキポール空港をめざしました。12時間の長旅をエコノミークラスの狭いシートで過ごすことは、体が大きく、行儀の悪い私にとって苦手なものでしたが若い生徒たちにとっては至福の時で、ビデオを見たり、ゲームをしたり、音楽を聴いたりして過ごし、機内食もきれいに平らげていました。
スキポール空港では、トランクを受け取るのに手間取り、思わぬ時間を費やしやっと到着ロビーにでることができました。ロビーに出ると、オランダに里帰りしていたALTのエレンさんが、ご両親や親族に見送られて日本に旅立つところでした。私たちを出迎えてくれた国際交流団体ホフライスのスティンスマ先生やイングリッド先生と対面し、さっそく英語で挨拶をしなければと思っていた時に、見慣れたエレンさんの顔を見てびっくりしました。と同時に、何となくほっとしたような気持ちになったことを覚えています。この日は、アムステルダム市内のホテルに泊まりました。
翌日の朝食、朝の8時なのに真っ暗でした。前もって聞いてはいましたが、何となく不思議な気持ちになりました。オランダ滞在一日目は、午前中天堤防を見学しました。ものすごい強風で、体ごと吹き飛ばされそうでした。天堤防を築く際にも、このような厳しい自然環境と戦いながら建設を続けたのだろうと思いました。天堤防の雄大さとこれを築いたオランダの先人達 の偉大さに、改めて深い感銘を覚えました。
その後、アムステルダム市内で昼食を取り、市内の見学をしました。車窓からの町並みはヨーロッパらしい落ち着いた美しい佇まいで、どこを写真にとっても絵になる風景でした。国立博物館ではレンブラントやフェルメール、ヤンスティーンの絵等を鑑賞しました。ゴッホ美術館では、ゴッホの作品が年代別に展示されており、ガイドの山口千真さんの解説でじっくり鑑賞しました。
そして、夕方いよいよザイスト市に到着。ホストファミリーと顔合わせの後、生徒達は、それぞれのホームステイ先に散っていきました。ちょっぴり不安そうな後ろ姿を見ながら、「中高生は若い。彼らの順応性は偉大だ。何も心配なことはないのだ。」引率者たちは、そう自分に言い聞かせながら、ホテルに向かいました。
翌日、生徒たちは、それぞれのホームステイ先から元気に登校しました。彼らの口から昨晩の楽しかった交流の様子を聞いて、引率者たちもほっとしました。生徒たちは、10日から12日まで、CLZ校に登校し一緒に授業を受けました。だいたい午前中授業に参加し、午後にケルケボッシュ校(専門校)やザイスト市役所、ザイスト城、マウデル城等をホストファミリーといっしょに見学するというパターンでした。ザイスト城とマウデル城は、中世の香りのするすばらしいお城で、16日に見学するデ・ハール城とあわせるとオランダ滞在中に三つのお城を見学しました。西洋史(学校の教科では世界史でしょうが)を学習していない中学生にとっては、少し難しかったでしょうが、ザイストの人々の「自分の町の文化財に対する誇りやそれを守ろうとする気持ち」は生徒たちに十分伝わったと思います。
CLZ校での授業も日本では珍しい「演劇の授業や宗教の授業」等があり、生徒たちもホームステイ先の生徒と一緒に楽しみながら学習てしいました。
13日の土曜日は、からりと晴れた一日で、生徒たちは、終日ホストファミリーとすごしました。引率者も3日間ホームステイをしました。私は、昨年山田を訪問されたアンネ先生のお宅にご厄介になりました。旦那さんのスティンブリンクさん(私と同い年でした)やミカさん(12歳)とティム君(10歳)から心温まる歓迎を受けて、何不自由なく快適に三日間過ごすことができました。
アンネ先生とは、子育てと仕事の両立、子どもの勉強や進学のこと等、万国共通の話題が多かったです。スティンブリンクさんは、大きなビルや橋等を建設する際に使う各種のクレーンを扱う会社にお勤めで、商談やマネージメントのためにヨーロッパ中を飛び回っており、忙しいとおっしゃっていました。(東京にも行ったことがあるとも言っていました。)とても気さくな方で、1000CCのバイクに乗るのが趣味で、私も彼の愛車にまたがらせてもらいました。
私は、今回のオランダ訪問に備えて、10月頃から朝夕の通勤の時間、車の中でずっと英会話のCDをかけて聞いていました。話すことは苦手でも、相手の言おうとすることだけは何とか聞き取ろうと考えたからです。英語とは言えないひどいスーパーブロークンな英語でしたが、何とか相手に不快な思いだけはさせなかったのではないかなと今思っています。
朝にCLZ校に登校してから、10人の生徒達に声をかけるのが日課でしたが、毎朝彼らの「自慢話」を間くのが楽しみでした。その話の内容から、私は、彼ら一人一人が日に日にすばらしい交流ができていることを確信していました。
13日の夜は、お別れパーティーでした。 CLZ校の女子生徒が、昨年のフェスティバル(文化祭?)でやったダンスを披露してくれました。我々使節団は、恒例の「ロック・ソ-ラン節」や柔道・空手のデモンストレーションを披露し大喝采を浴びました。特に、横田さんの空手は、しんと静まりかえった中で迫力ある演武が披露され、日蘭両国から賞賛の声が上がりました。
彼女は、演武を披露する前に、「ああどうしよう、どきどきする。」と言っていましたが、開始の一礼後、顔つきがきりりと締まり、まさに武道家の顔でした。演武終了後、彼女のテーブルには握手を求める幾重もの人垣ができました。まるでスター並の扱いでした。
私は、このパーティーの席上、「日本とオランダ両国は、輝かしい歴史と不幸な過去の両方を経験している。お互いの文化や習慣を尊重しながら、輝かしい未来にむかって、互いを成長させるために、この交流を大切にしたい。そして、私たちの大切な子どもたちに、ザイストと山田町の交流の未来を託したい。」と挨拶しました。この思いは、パーティーに出席した多くの人々に伝わったらしく、「この交流を大切にしよう。私は、自分の子どもを山田にやりたい。」という声があちこちで聞かれたと、あとで通訳の山口さんから聞きました。私も、団長として「少しは役に立ったのかな。」と帰国した今、考えています。
14日は、午前中キンデルダイクの風車群の見学。午後は、アンネフランクハウスと木靴工場の見学でした。詳細は、生徒たちのリレー日記に任せたいと思います。
15日は、アムステルダム日本人学校を訪問しました。短い時間でしたが日本語でフリートーキングしました。
両親の仕事の関係でオランダに滞在している生徒諸君は、年齢以上に大人の雰囲気を持っていましたが、たわいもない話に盛り上がっている姿は、紛れもない中学生の姿でした。彼らの笑顔を見て、何となくほっとした気持ちになりました。
日本人学校を後にして、在蘭日本大使館を訪問しました。ここでは、なんと小町大使自ら、私たちと昼食をともにして下さいました。大使公邸のコックさんに調理させたという日本食を食べながら、大使のお話を伺いました。大使は、岩手県出身の新渡戸稲造の名著である「武士道」を話題にされ、「外国で生活をしていると、日本の文化や習慣、物事の判断基準を外国人に問われることがある。新渡戸稲造は、百年以上も前に「武士道」の序文でそのことにふれている。外国の文化に触れることは、自分の今まで育ってきた日本の文化を改めて見直すことにつながる。今、君たちは、10日間のオランダ滞在で多くのことに驚き、感動し、新たな発見をしたことだろう。今君たちの頭の中は、多くのことが整理されずにごじゃごじゃの状態だと思う。日本に帰ったら、じっくりと自分の力で整理して、自分の生き方の参考にしてほしい。」と、気さくに語っていただきました。外務省でも有数のロシア通として知られ、海外での生活も長い小町大使から直接お話を伺い、生徒諸君もさすがに緊張気味で、「久しぶりの本格的な日本食はおいしかった。でも、すごく緊張したので十分味わえなかった気もするなあ。」と、そんな感想を述べている生徒もいました。
大使館を後にしてマドローダムに行きました。極めて精巧に作られたオランダの名所旧跡の模型に、生徒たちは歓声をあげていました。と同時に、「今日がホストファミリーとの最後の晩なんだね。」と寂しそうに話す声も聞かれました。
16日は、ホストファミリーとのお別れの日でした。涙、涙の辛い別れの日となりました。清水君と西舘君が、感謝の気持ちを込めてお別れのエールを送りました。引率者も心を鬼にして、別れを惜しんでいる生徒の背中を押すようにしてバスに乗せました。「いつかきっと会おうよ。」そんな言葉とともにザイストを出発しました。ホストファミリーの姿が見えなくなるまで、生徒たちはいつまでもいつまでも手を振っていました。
オランダ滞在最終日は、午前中にユトレヒトのオルゴール博物館とドム教会を見学しました。 ドム教会の高い天井のステンドグラスから差し込む光を見上げながら、祈りの声が聞こえるような気がしました。この訪問期間中に各地で多くの教会を見ました。改めて私は、「人間にとって祈りとは何だろう」。年甲斐もなくそんなことを思いました。
スキポール空港にむかうバスの中では、女子が「私帰りたくない。オランダに残る。トランクの中で生活する。」と言い出しました。もちろん冗談半分なのですが、とてもかわいらしく見えました。オランダ滞在中、多くの人と出会って楽しい日々を過ごし、同時にこの日は多くの人とお別れをしてきましたが、ガイドの山口千真さんとのお別れが最後に持っていました。生徒たちにとって、山口さんはもっとも頼りになる大人であり、先輩であり、特に女子生徒にとっては一つの憧れでもありました。出国カウンターを通るぎりぎりの時間まで、私たちのお世話をして下さった山口さんに、感謝の寄せ書きと壁飾りを贈り、スマートにお別れができました。また泣かれたらどうしようと考えていた私は、ほっと胸をなで下ろしました。
本当に夢のような12日間でした。思い出の凝縮された12日間でした。今回のジュニア使節団訪問のために努力していただいた多くの人々に感謝いたします。多くの人々の支えがあって実現した今回の訪問を、「自分たちにできる方法」で今後も継続していくことを、帰国した今、私たちは考えています。そのことが、お世話になった多くの人への恩返しになると考えているからです。
文化や習慣が異なっていても、言葉が通じなくても、交流の糸口はできることを生徒たちは今回の訪問で体験しました。相手の気持ちや立場を推し量って、さりげない配慮をすることが何よりの国際交流なのだと思います。相手の行為を「サンキュー。ダンキューエル」と表現する国。「有り難い。お陰様」と表現する日本。お互いに感情表現や思考方法は異なっていても、「相手をかけがえのない存在として大切にすること」については共通です。
国際交流の重要性や国際人の育成が声高に叫ばれる今日、「国際交流の本質」とは何だろう。そんなことを考えさせられた12日間でした。



